デザイナー投稿フォーラム
2016/04/23

インテリアデザイナー 岡部朋子さんからのエッセー

jkamui173
フリーバス ブログ

岡部朋子さんのプロフィール

幼い頃から海外の文化、特にヨーロッパに憧れていたので、その夢を実現し海外で20年暮らしました。
海外で大手の金融機関に勤務しながらイギリスとカナダで生活し、2008年のリーマンショックを機に日本で引退。
以前より興味を持っていた建築、インテリアを勉強しながらインテリアコーディネーターの資格を取得、
外国人へのプレゼン能力を活かして和のインテリアを紹介していきたいと思って活動しています。

Twenty years experience in institutional investment management based in UK and in Canada.
Helped by international marketing experience,
my second career focuses on introducing the Japanese living style to broader audience.
I have strong interest in historic analysis and cultural comparison.

MBA INSEAD. Fluent English, Japanese, business communication French

 

このコラムでは洋の東西の住文化についてあれこれ考えてみます。

第一回はお風呂の東西について考えてみました。

 

まずは西洋のお風呂の歴史から。

一番古い風呂の遺跡はギリシャ時代の紀元前6世紀のものだとか。

紀元1‐2世紀のローマ帝国各地のテルメは、共和国での選挙票獲得のために市民の支持を得ようと
皇帝や貴族がタダで入浴できる施設を作ったものです。
かのシーザーは、ローマ市民にパンを配りテルメを提供するのにどれだけ私財を使い果たしたかと嘆いています。
当のローマ市民は、この娯楽を大層楽しんでいたようです。

時代が下ってローマ帝国がキリスト教に改宗してからのちの中世には、
大衆浴場は堕落の源泉だとして教会より禁止されました。
七つの大罪に当たるからです。以後、大衆浴場は西ヨーロッパでは見かけなくなりました。

中世当時、この上ない贅沢であるプライベートのお風呂はといえば当然王侯貴族のものですが、
近世に作られたヴェルサイユ宮殿にあるように、普通の広さの部屋の中央にバスタブが置かれ、
召使が遠くからお湯を運んで貯めていたのでお湯の温度はかなりぬるく、かつすぐに冷めてしまったようです。
入浴の頻度は王様でも週に一度以下だったとか。これにはヨーロッパの水事情も背景にあるようです。

ローマ帝国時代にローマやナポリに水を引いてくるのは一大事業であり、
それによってローマの土木技術がみごとに発展しました。
当時作られた水道橋の中には今も使われているものがあります。
整備された上水道のおかげで街中の水飲み場を市民も奴隷も自由に使うことが出来ました。

中世に発展したヨーロッパの他の都市では豊かな水源が身近になく、
水を自由に使えるのは城の中の王侯貴族だけでした。

中世に住民が増えたパリやロンドンなどの大都市では慢性的な水不足でした。
平野部での高低差が少ないため、今でも一度くみ上げてから落差で流すウォータータワーを見かけます。

気候も比較的寒冷で湿度も低いことから、入浴の必要をさほど感じなかったのかもしれません。
ただ、街中や宮殿のそこここにある糞を踏まないようにとハイヒールの靴を履いていたことから、
上下水道がある程度整備され、人々に日々の入浴の習慣があったなら、
もしかするとペストの大流行による人口の減少(3分の1に及ぶ)は防げたかもしれません。

余談になりますが、今でもロンドン市内ではヴィクトリア時代の建物を多く見かけますが、
その戸口に足元30cm位の高さに金属のバーが渡してあります。
カーブするほどすり減っていますが、ブーツの底の泥や馬車の馬の糞などの汚れをぬぐったためです。

 

さて、日本のお風呂の歴史です。

 

6世紀に中国から仏教伝来と共に入浴も伝わりました。
8世紀には光明皇后が天然痘の伝染病対策として千人施浴を実施した記録があります。
現存する日本最古の浴槽としては11世紀に作られた東大寺の大湯屋(3000リットル)があります。
公衆浴場の文化的な歴史として、西洋はキリスト教により禁止、
日本では仏教により公衆衛生面から推奨されたというのは興味深い対比です。

時代が下って江戸末期、19世紀に来日した西洋人は一様に、日本人は皆呆れるほどに清潔好きだと驚いて記録しています。
庶民までもが清潔好きだったのは、市中の上下水道が整備されていたからです。
上水道の整備には戦国大名も従来多々苦労してきたのですが、日本の急峻な地形が幸いし、
世界でも突出して豊富な降水量と高低差を利用することが出来ました。
高温多湿の気候も汗を洗い流したいという自然な欲求が生まれる背景です。
江戸時代には町民文化が花開きました。
浮世絵にもあるように、公衆浴場の湯屋は町の文化サロンでもありました。
武士と商人、農民は身分階級が隔てられていましたが、湯屋では裸のつきあいが出来ました。

 

さて、最後に日本のお風呂の現在と未来のヒントを見てみましょう。

 

日本にはユニットバスという世界に誇れる優れた工業製品があります。
1964年の東京オリンピック当時、選手村を急ピッチで建設するにあたり、
建設の効率化を求めて工場での大量生産を可能にした画期的な商品です。
工業生産用語ではモジュール化によるプリファブリケーションです。
以降、まさにユーティリティの追及で機能性、快適性を求めて進化し続けています。

 

そのユニットバスですが、今、単純な入浴機能以外の役割にスポットが当たり始めています。

シェル構造を活用しての地震時のシェルターや非常時の緊急用水の保全など緊急時用途、
あるいは一人用カラオケ、一人で集中作業するためのデスクとしての防音集中作業用途、
またプロジェクションマッピングを利用してのプラネタリウムシアター、アロマを使っての癒し空間演出などの娯楽用途。
これからのお風呂に期待する楽しみ方は人それぞれ実に様々です。
高齢化社会を迎えている今、個人のお風呂の楽しみ方はますます広がりをみせるのではないでしょうか。
皆さんも私たちと一緒にお風呂の未来を考えてみませんか?